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ファイル3 第9話:捕食する虚空と、解き放たれた災厄

last update Date de publication: 2026-02-13 18:33:26

『キカセテ……モラッタ……ゾ……!』

 空気を震わせるその声は、鼓膜ではなく、脳髄に直接響くようだった。

 氷室の隣に開いた黒い裂け目。そこから這い出した「それ」は、人の形を模してはいたが、中身は空っぽの闇だった。輪郭が陽炎のように揺らぎ、周囲の光を貪欲に飲み込んでいる。

「な、なんだこれは……!?」

 氷室が狼狽し、後ずさる。

「私のセンサーには何の反応もなかったぞ! どうやって侵入した!」

『シンニュウ? チガウナ……』

 黒い影が、嘲笑うように歪んだ。

『オレハ、ズットココニイタ……。ココハ……ミオボエ……アル』

「見覚えが……ある……だと? まさか、君は……『被検体

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  • 霊聴古物商 槻島蓮の怪異ファイル   ファイル3 第10話:黒い遺産と、夜明けの脱出

     黒い人魂――ゼロが去り、静寂を取り戻した研究所。 俺たちは氷室が陣取っていた制御室に戻り、手がかりを探した。 主を失ったメインコンソールは沈黙していたが、奥の壁に埋め込まれた、見るからに頑丈そうな隠し金庫が目に止まった。「……これだな」 俺は商売道具のピッキングツールを取り出し、鍵穴に差し込んだ。氷室のような性格の人間は、最も重要なものを肌身離さず、かつ物理的に隔離して保管したがるものだ。 カチリ、という微かな音と共に重い扉が開く。 中に入っていたのは、一本の旧式の大容量ハードディスクと、数冊のファイルだった。ファイルの背表紙には『Project Akasha - Original Log / Kuga』とある。「久我教授の、オリジナルの研究記録か……」 パラパラとページをめくる。そこには、非人道的な実験の数々と共に、それに異を唱えた研究員たちの「処分記録」も冷徹に記されていた。「……あった」 俺の手が止まる。『監視強化対象:主任研究員・槻島修一、および妻・玲子』の項目。 そこには、実験の停止を訴える父の上申書と、それが却下された経緯だった。「……先生、これ」 薫がファイルの間からこぼれ落ちた封筒を拾い上げた。 封筒には『押収品:槻島修一 私物』と事務的なスタンプが押されている。中に入っていたのは、一枚の色褪せた家族写真と、ボイスレコーダーだった。 俺は震える手でレコーダーの再生ボタンを押した。ノイズ混じりに、父の声が流れる。『……もし、私が死に、このテープが誰かの手に渡っているなら、私の研究者としての良心は敗北したということだ。だが、これだけは遺しておきたい』 父の声は、死を覚悟したように静かで、力強かった。『私も初めは久我教授の理想に共鳴した。しかしこの研究の犠牲の多さは異常だ。ことが事だけに動物実験ができないとはいえ、次の実験を最後にできるよう教授を説得するつもりだ。私が

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    『キカセテ……モラッタ……ゾ……!』 空気を震わせるその声は、鼓膜ではなく、脳髄に直接響くようだった。 氷室の隣に開いた黒い裂け目。そこから這い出した「それ」は、人の形を模してはいたが、中身は空っぽの闇だった。輪郭が陽炎のように揺らぎ、周囲の光を貪欲に飲み込んでいる。「な、なんだこれは……!?」 氷室が狼狽し、後ずさる。「私のセンサーには何の反応もなかったぞ! どうやって侵入した!」『シンニュウ? チガウナ……』 黒い影が、嘲笑うように歪んだ。『オレハ、ズットココニイタ……。ココハ……ミオボエ……アル』「見覚えが……ある……だと? まさか、君は……『被検体ゼロ』なのか?」 氷室の表情が、驚愕から歓喜へと劇的に変わる。「そうか! 成功していたのか! これこそが、肉体を捨て、情報体へと進化した人類の姿……神の領域!」 氷室は狂気に取り憑かれたように両手を広げ、黒い影へと歩み寄ろうとした。「素晴らしい! さあ、私にデータを見せてくれ! 君の中で何が起きているのかを!」 だが、黒い影――ゼロは、氷室の歓喜など意に介さず、低い声で唸った。『……久我(クガ)ハ、ドコダ?』「え……?」 氷室が足を止める。「久我……教授のことか?」『ソウダ。オレタチヲコンナ姿ニシタ、諸悪ノ根源……。久我ハドコニイル?』 ゼロの身体から、どす黒い殺気が噴き出し、氷室へと向けられる。その物理的な圧力に、氷室はたじろぎ、腰を抜かしたように後退った。「く、久我先生はもういない!」

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     ウィィィィン……。 正門の分厚い強化ガラス扉は、俺たちが近づくとセンサーが感知し、滑らかに左右へ開いた。外見は蔦に覆われた廃墟のはずなのに、自動ドアの機能は生きていたのだ。「……空調が効いています」 薫が身震いして言った。一歩足を踏み入れると、そこは外界とは隔絶された別世界だった。 外の湿った熱気とは無縁の、冷たく乾燥した空気。磨き上げられた大理石の床。天井にはモダンなLED照明が煌々と輝き、広々としたエントランスホールを無機質に照らし出している。『――ようこそ、神去島へ』 突然、ホールに設置されたスピーカーから、理知的だが冷ややかな男の声が響いた。外にいたゾンビたちのようなノイズ混じりの声ではない。明確な殺意と知性を孕んだ声だ。『待っていたよ、侵入者諸君。……さあ、奥へ来たまえ。話し合おうじゃないか』「……話だと?」『そうだ。君も、ただ暴れに来たわけではないだろう? 知りたいことがあるはずだ』 ホールの奥へと続く廊下の照明が、誘うように順に点灯していく。「……どうしますか、先生」「行こう。どのみち、親玉を叩かないことには始まらない」 俺は妖刀の柄に手をかけ、警戒しながら廊下を進んだ。 突き当たりの重厚な扉が開くと、そこは巨大な観察室だった。正面の強化ガラス越しに見下ろせるのは、数々のカプセルと複雑な配線がのたうつ、地下実験場だ。 さらに奥へ進むと、壁一面がガラス張りになった広いオフィスのような空間に出た。 そのガラスの向こう側――制御室とおぼしき場所に、一人の男が立っていた。白衣を纏った痩身の男だ。神経質そうな眼鏡の奥で、感情の読めない冷たい瞳が俺たちを見下ろしている。 ガシャーン! 入ってきた扉が、背後で重々しい音を立ててロックされた。「私がこの施設の管理者、氷室だ」 氷室は、ガラス越しに俺たちを見下ろした。それは人間を見る目ではない。シ

  • 霊聴古物商 槻島蓮の怪異ファイル   ファイル3 第7話:青き業火と、不動の結界

     日が落ち、森は漆黒の闇に包まれた。 俺たちは詰め所の外、少し開けた広場の中央に、枯れ木や油分を多く含んだ松の枝を積み上げ、即席のキャンプファイヤーを組み上げていた。 朔也が重い枝を引きずりながら、顔を引きつらせる。「おい、山火事にでもなったらどうするんだ。延焼したら、詰め所に逃げ込んだ俺たちも酸素欠乏で死ぬぞ」「この島は湿気が多い。それに今は海側へ風が抜けている。……たぶんな、延焼はしないさ」「『たぶん』で放火するな! まあいい、そっちは俺が何とかしてやる」「何とかって、どうするんだ?」「ふっふっふ。俺を連れてきたことを、涙を流して感謝させてやるさ」 若干の不安はあったが、悲観的になられるよりはマシだ。「期待してるぜ、お坊ちゃん」 文句を言いながらも、朔也は真面目に動いた。こういう局面で手を抜かないのは、育ちの良さゆえの生真面目さだろうか。薫も手際よく、投げつけるための松明(たいまつ)を何本も作ってくれた。「よし、準備完了だ」 俺はライターを取り出し、枯れ葉の山に火をつけた。 パチパチと音を立てて、オレンジ色の炎が燃え上がる。闇夜に浮かぶ焚き火は、この不気味な島において、獲物を誘う強烈な「餌」となった。 ガサガサッ、ガサッ……! 森のあちこちから、枝をへし折るような不気味な音が近づいてくる。「……来たぞ。薫、お前は先に詰め所の中へ! 菊千代もだ!」「ひっ……! き、来やがった!」 朔也が俺の後ろに隠れる。「ビビるな。もっと引きつけろ。奴らが密集するまで待つんだ」 俺と朔也は、詰め所の入り口脇に身を潜め、松明を手に機を伺った。 炎に照らされ、十体、二十体とゾンビ共が広場に集結していく。奴らが互いの肩が触れ合うほどに焚き火を囲んだ、その瞬間だ。「……今だ!」 俺は叫ぶと同時に、火のついた松明を、奴らの中心――一番密集してい

  • 霊聴古物商 槻島蓮の怪異ファイル   ファイル3 第6話:錆びついた休息地と、反撃の狼煙

    「……おい、あそこに小屋があるぞ!」  逃走の最中、朔也が指差した。背後からは、あのゾンビ共の無機質な足音が執拗に追いすがってきている。  森の少し奥まった場所に、蔦に覆われたコンクリート造りの平屋が見えた。かつての警備詰め所か、資材倉庫の成れの果てだろう。「……待て、真っ直ぐ行くな」  俺は朔也の肩を掴んで引き止めた。 「おそらく、あいつらの索敵は視覚と音響に依存している。一度大きく迂回して死角に入り、視線を切ってから滑り込むぞ」 俺たちは藪の中を這うように進み、建物の裏側へと回った。  追っ手のゾンビ共は俺たちの姿を見失い、そのまま森の奥へと直進していく。やはり知能は低い。プログラムされた単純な索敵行動しかできないようだ。「今だ」  俺たちはその隙を突き、音もなく廃墟へと滑り込んだ。  朔也が慌ててドアを閉め、錆びついた閂(かんぬき)をそっと降ろす。  室内は重苦しい静寂に包まれた。外からは、遠ざかっていく唸り声と、草木を踏みしめる乾いた音だけが聞こえる。「はぁ……はぁ……撒いた、のか……?」  朔也が埃っぽい床にへたり込み、声を潜めて言った。 「ああ。だが油断はするな。……薫、大丈夫か?」 「はい。……それより先生、左手を見せてください!」  薫が救急セットを取り出し、俺の手を強引に取った。 「……かなり深く切れています。血は何とか止まったようですが……」 「平気だ。骨まではいってない」 「平気なわけないでしょう! あんな……自分の手を刀に突き出すなんて……」 薫の手が微かに震えている。彼女はテキパキと消毒をこなし、包帯を巻きながら、今にも泣き出しそうな顔で俺を見上げた。 「もう、あんな無茶はしないでください。……怖かったです」 「ああ……悪かった」  潤んだ瞳で見つめられ、俺はバツが悪くなって視線を逸らした。「……おい、睦まじいところ悪いが」  朔也が、顔を青くして口を挟んだ。その言葉に薫が肩を跳ねさせ、弾かれたように俺から離れた。暗がりでも分かるほど、彼女の頬が朱に染ま

  • 霊聴古物商 槻島蓮の怪異ファイル   ファイル3 第5話:妖刀の偏食と、死せる操り人形

    『血だ!! 血をよこせ!』 鞘から抜いた妖刀は、いつものように血を求め、耳元でわめき始めた。 ヒュンッ! 風を切る音とともに、男の腕が俺の目の前を掠めた。速い。だが、その程度の速度では、この妖刀の敵ではない。妖刀を手にした俺の身体は、剣の達人にも比肩する精度で、最適解の軌道を描く。「先生!」 薫の悲鳴を背に、俺は小手調べとばかりに男の腕を一閃した。 ズバッ! 妖刀がその腕を斬り飛ばす。だが、切り口から飛散したのは鮮血ではなく、どす黒く濁った防腐液のような液体だった。『不味い! 何だこれは! 腐っているぞ!』 脳内に、妖刀の露骨な不満と嘔吐感が流れ込んでくる。『ア……ガ……』 しかし、男は止まらなかった。痛覚など存在しないかのように、残った片腕で俺を掴もうと肉薄してくる。「なっ……!?」 俺は紙一重でその手をかわし、返す刀で頸を薙いだ。 ズシャァァァ!!!「ゾンビだか何だか知らないが、首を落とせば動けまい!」 頸椎ごと断たれた頭部が転がると、男の身体は今度こそ活動を停止した。「ひぃぃぃっ! こ、こっちに来るな! 汚らわしい!」 ふと気づくと、別の個体が現れ、朔也に向かって突き進んでいた。朔也は腰を抜かしそうになりながら、無様に逃げ惑っている。『ヴヴヴ……』 菊千代が低く唸るが、飛びかかろうとはしない。どうやら菊千代も、この「死体の臭い」を本能的に嫌がっているらしい。「チッ!」 俺は朔也を狙うゾンビへ向け、一気に間合いを詰めた。『あの血は不味い!! 寄越すな!!』 斬りつけようとした瞬間、妖刀が強烈な拒絶反応を示した。振りかぶった刀が、見えない力に阻まれたように空中で静止する。「くっ、この偏食家め! 贅沢言ってる場合か!」「おい朔也! お前のお得意の術で動きを止めろ!」「き、貴様に命令される筋合いは

  • 霊聴古物商 槻島蓮の怪異ファイル   ファイル2 第9話:黒幕の正体と不器用なテスト、雨降って“犬”固まる

     その日の夜、俺は神代 玄道に電話をかけ、すべて解決したこと。明日取り返した本を渡すことなどを伝え、薫が入院している病院近くの喫茶店で落ち合うことにした。 ――翌日。 ちょうど時間通りに、俺が喫茶店に入ると神代は、すでに俺を待っていた。神代が奢るというのでコーヒーを頼んだ。禁書を見せると、神代は感心したように言った。「いやあ、聞きしに勝るな。早速で悪いが本を渡してもらえないかね」「おっと待った。神代大社神主、四方儀 祓さん。まず先にこの茶番が一体何だったのか説明してもらおうじゃないか」「ハッハッハッハ、君に隠し事は出

  • 霊聴古物商 槻島蓮の怪異ファイル   ファイル1 第7話:三峯の御札と迫る危機 ――暴走する“菊千代”を止めろ

     俺達は山道を車で登っていた。「……黒川総業の人達、やっぱり現場を確認に、行くんですよね?」「ああ、間違いないだろう。昨晩から突然音信不通になったんだから、警察でも来たんじゃないかと、心配になったんだと思う」「先生は、一体どうするつもりですか?」「……俺は、まず菊千代に、これ以上人殺しをさせたくない。これが最優先だ。次に黒川総業の連中を懲らしめたい。まあ、それは宇佐美に頼んだ方が、うまくやってくれそうだから、あいつに頼む」「分かりました。私も菊千代を救いたいです」「よし、菊千代を救うぞ」

  • 霊聴古物商 槻島蓮の怪異ファイル   ファイル1 第6話:怯える住人と老人の告白 ――怨霊の名は『菊千代』

     俺達はひとまず宿を探すことにした。既に夜の十時を回った。暗いし、聞き込みをするにしても、玄関まで出てきてくれるかも怪しい。 犬は元来夜行性なので、夜の方が遭遇確率が上がりそうではあるが、そもそもあの犬がどういった素性のものなのかわからない以上、むやみに歩いてどうなるものでもないだろう。 比較的近くのビジネスホテルの部屋に入り、シャワーを浴びた後、俺はベッドに倒れ込むようにしてすぐ寝てしまった。俺が目覚めたのは、チェックアウト時間の三十分ほど前、心配した薫が俺のスマホにかけた電話の呼び出し音で、俺は目を覚ました。「お風呂で溺れでもしたんじゃ

  • 霊聴古物商 槻島蓮の怪異ファイル   ファイル1 第5話:『聖痕』と『犬飼』 ――高額グラボと暴かれる黒幕

     俺は、詰所に向かう傍ら、薫に起きた出来事をかいつまんで、説明していた。 月明かりに照らされる薫の顔はまだ青ざめていたが、惨状を見たショックに、気丈にも泣き言を吐かずに耐えていた。「じゃあ、動画配信者の方は殺されて、その犯人も犬の怨霊みたいなのに殺されてしまったんですね」「ああ。実体があるんだか、ないんだかよくわからんやつが、どうして喉をえぐり取れるのか、納得がいかないが……」「でも先生、『聖痕』はご存じですか? 強い信仰という“精神”が、この世の物理法則を無視して、何もないはずの“肉体”に『傷』をつける

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